時の経過とは?
あの世があったら嬉しい
ここ最近、起きてる間はずっとネット検索をしていて負のループにはまっている。
死の恐怖を和らげたくて安心材料を探し求めているのだけど、なかなか出会うことはない。
私はあの世とかを信じていないので尚更のこと。生まれ変わりとか死んでも意識は存在し続ける・・・なんて信じることができたらそもそも死の恐怖にはまることもないはずだ。
20代30代の頃の私はスピリチュアル的な本をたくさん読んだせいか、何となく信じてたような気もするし、純粋なだけだったのかもしれない。
今は恐怖感がすべての他の感情を支配してしまってる、そんな感じ。
私は完璧主義な傾向もあるし少し理屈っぽいところもあったりするので、科学的に証拠あることを求めてさまよって迷子になっているのだ。平凡な頭脳しか持たない私には無理も大きい。
現実感が失われていく
頭の中をパンパンにしながら執拗に調べ続けるのは辛いことだけど、今まで意識が向かなかったことを知ることになりメリットを感じることも多い。
あまりにもしつこく断片的な知識が頭脳に流れ込まれ続けていると、なぜか時の経過の感覚が歪んでしまう。記憶や現実感がおかしくなるような感覚だ。
脳内が大騒ぎを起こしていて生活リズムを失ってしまっているからだろう。
その感覚はとても怖いのだけど、そんな中「時の経過」について不思議に思い「老い」について真剣に考えた。現実感を失うと、思いは遠い過去のことか一気に年老いた自分のことへと極端に飛躍するのである。
( "今を大切に"とか "今ここだけに集中する" のように、過去にとらわれず未来を恐れない考え方が健康的な理由が良くわかります…)
浅い考えばかりだし全て中途半端だし答えなんて得られないと思っているのだけど、何となくメモにまとめたものを残しておこうと思う。
- - - 以下、メモ - - -
私の脳から派生する意識は生まれた時からずっと変わらずに私のもの。
歳を重ねるごとに変化(成長)している。
外見は老化するけど脳の機能は変わらない。
私は外見が歳とることに恐怖している。自分が失われるように感じる。
だけど、外見が老化しても自分を認識する力は変わらないはず。
子供の頃や若い頃の記憶は残っているけど、当時の意識はそのまま残っていない。
その時の感情や五感は記憶していてもそのまま同じに再生することは出来ない。
意識については常に今この時しか存在しない。過去のあのときの意識を持った私と今の私は全く違う。あのとき楽しかったり喜んだり悲しかったり苦しんだりした私をそのまま同じようには再現できない。あるのは記憶だけ。
私にとっての連続性は?ついさっきと今なら現実的な連続性を感じる。睡眠から覚める前の私と目覚めたあとの私は全く同じ?1日単位での感覚は現実的に連続性は強いけど、月単位年単位になると変化を感じる。
昨日の記憶の方が過去の記憶より鮮明だけど、意識については瞬間ごとに発生してる。
時を重ねるにつれ私の意識は違ったものになってる。過去と同じ出来事があってもあの当時と同じ感じ方を今の私はしないとわかる。
年老いても私の脳という組織は変わらず、私の体験の仕方や感じ方は違うだけ。
私の意識は変わるけど、どう変わってゆくかは私の考え方感じ方が反映するのではないか?
たくさん体験したり何かを感じてゆくことで脳はもっと熟成されて死を自然に受け入れるほどに成長する?
そう信じて生きるのは間違ってないかもしれない。
- - - 以上 - - -
意味不明な点もあるけど、自分を安心させようと必死なのがよくわかる。
いつか振り返った時、微笑むことが出来るのでしょうか。